日本人のルーツを探るのって、とても楽しいです。
もちろん、日本は多民族です。大きく分けて南方系と北方系にわかれます。
南方系が縄文人で、北方系が弥生人といわれています。
その北方系日本人の先祖のシンボルのひとつを、私は先週、見てきました。関東にある神社にあります。
それは石のトーテムポールです。たまたま仕事で付近をとおったので、寄ってみました。
トーテムポールといえば、アメリカ・インディアンのものが有名ですが、古代朝鮮で興った高句麗にもあったのです。
その石のトーテムポールは、この高麗神社の入り口にあります。
高麗神社は、埼玉県日高市にあります。飛鳥時代、高句麗が滅亡したとき、日本に逃れてきた高句麗の王族が建立しました。
現在の神主は、60代目にあたります。
私の住まいから、そう遠くないところに、高句麗の子孫の神社があるなんて、最初、とても驚きました。
韓国歴史ドラマの世界が、圏央道の狭山・日高1Cをおりた付近にあったのです。
古代・高句麗の衣服も展示されています。
韓国歴史ドラマの「朱蒙」や「広開土王」のなかで着られていた衣装に似ています。
高句麗人の関東での分布図をみると、古代、高句麗の人は、私の家の付近にも住んでいたみたいです。
私の先祖も、もしかしたら高句麗人かもしれませんね。
私は一重瞼なので、北方系であることに間違いはありません。
ロシアのエベンキ族がトーテムポールをつくった
ロシア国内に住んでいるエベンキ族は、アマリカ・インディアンや東アジア人のルーツのひとつといわれています。
エベンキ族は、鹿の一種であるトナカイを主食にしていました。凍ったトナカイの肉を食べていたため、アゴが頑丈になり、エラのはった顔立ちになりました。
韓国にエラの張った顔の人が多いのも、エベンキ族の血が流れているせいかもしれませんね。
また、トナカイを崇拝するエベンキ族の習慣が、朝鮮半島北部の扶余に伝わり、百済、日本へと伝わった可能性があります。
扶余は鹿の意味があります。日本には鹿の名のつく神社が多いですが、エベンキ族の血が流れているのではないでしょうか。
もともとトーテムポールは、エベンキ族から発祥しました。
エベンキ族の子孫がアメリカ大陸や東アジアに移動して、トーテムポールも広まったのです。
でも、中国東北部(朝鮮半島北部)は、木材資源に乏しかったため、石のトーテムポールができました。
日本にもトーテムポールが伝わったのですが、いつのまにか消えてしまいました。
消えた理由は諸説あります。儒教や仏教が伝わったからだとも、いわれています。
古代、古墳が日本中にありましたが、仏教の伝来により、古墳はまったくつくられなくなりました。それと同じです。
一方、儒教も仏教も伝わらなかったアメリカ大陸では、トーテムポールが消えずに残ったということになります。
中国発祥の茶道や花道が、中国では衰退しましたが、日本で発展しているのに似ていますね。
日本は、なぜ鳥居が多いのか
トーテムポールとは逆に、日本に鳥居はすごく多いですね。神社が多いから鳥居が多いわけです。
鳥居はトーテムポールと違い、現在でもメチャクチャたくさん存在しています。
なぜでしょうか?
ヨーロッパや中東など一神教の国ならば、日本にある神社などは排除されたと考えられます。
しかし幸いなことに、日本には仏教が伝来しました。仏教は寛容な教えなので、日本古来の神や鳥居を排除することなく、共存できたのです。
また、聖徳太子の努力のたまものでもあります。仏教と日本古来の神道が共存できる教義をつくったのです。
ここが一神教の国と多神教の国の違いです。
さらに同じ東アジアでも、、中国や韓国の歴史ドラマを見ると、鳥居がめったにでてきません。
中国南方にある雲南省の木氏を描いた中国歴史ドラマ「絢爛たる一族~華と乱~」で、いくつか鳥居を目にする程度です。
中国・雲南省は、日本のルーツのひとつともいわれています。
いずれにしろ東アジアでも、日本が一番、鳥居が多いみたいです。
アメリカにはトーテムポールがたくさんあり、日本は鳥居が多いです。それが現在のアメリカと日本が密接な関係をたもっている原因でしょうか?
いや、まったく関係ないでしょうね\(○^ω^○)/
ひとこと
トーテムポールのことを書いていたら、久々にディズニーランドにいきたくなりました。
「トムソーヤ島のいかだ」に乗りたいです(o゚▽゚)o